中村天風研究会

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中村天風先生プロフィール

・中村天風先生は、1876年(明治9年)7月30日東京生れ
 1968年(昭和43年)12月1日、92歳にて逝去。
・墓所は、東京都文京区大塚の護国寺。
・本名は、中村三郎。立花藩主(福岡県)の末裔。
・幼名は、午の年、午の日、午の刻生まれにちなんで
 「三午(さんご)」と名付けられた。「天風」という号は
 家伝の剣術随変流の型「天つ風」から名付けられた。

 <プロフィール 成人期・中期4>
 <悟りの瞬間>
○滝つぼの横で坐っていると、だんだん雑念妄念がなくなって来る。 
 ふと私は、一年ばかり前に、サラ・ベルナールが読んで御覧なさいと
 言って渡した「イマヌエヌ・カントの伝記」を思い出すともなく思い
 出した。
・カントは、宿場の貧しい馬の蹄鉄打ちの倅(せがれ)に生まれた。そ
 して、因果なことに、背中に団子みたいな瘤があった。脈がしょっち
 ゅう百二、三十打って、喘息持ちで、今にも死にそうな子供だった。
 17歳位までは、毎日、苦しい、苦しいとのたうち回って、死なずに
 生きていた。
・ある時、医者が町に来た。親父に連れられて医者の所に行った。その
 時、医者の言った一言が、カントをして世界的な偉人にしてしまった
・医者は、つくづくと顔を見ながら、「気の毒だな、あなたは。しかし
 気の毒だというのは、体を見ただけのことだ。 よく考えてごらん、
 体はなるほど気の毒だが、あなたは心はどうもないだろう。 心まで
 も見苦しくて、息がドキドキしているなら別だけれども、心はどうも
 ないだろう。そして、苦しい、辛いと言ったところで、その苦しい、
 辛いが治るものでもないだろう。 
 辛い、苦しいと言えば、お父さんもお母さんも、やはり苦しいだろう
 し辛いだろう。 言っても言わなくても、何にもならないが、言えば
 言うほど、みんなが余計苦しくなるだろう。
 同じ苦しい、辛いというその口で、心の丈夫なことを喜びと感謝で考
 えればいいだろう。 体はともかく、丈夫な心のお陰でお前は死なず
 に生きているじゃないか。 死なずに生きているのは、丈夫な心のお
 陰なんだから、それを喜びと感謝に変えて行ったらどうだ。 出来る
 だろう。そうすれば、苦しい、辛いもだいぶ軽くなる。 私の言った
 ことは分かっただろう。分からなければお前の不幸だ。これが、お前
 を診断した私が、お前に与える診断の言葉だ」と。
・カントは、医者に言われるままに喜びと感謝を心がけた。 3日ばか
 り経つ内に、カントの頭の中に、次のようなことが閃いた。 人間と
 いうものは、こういう気持ちでいるだけで、今までとはいくらか違っ
 て来た。 そして、心と体のどっちが本当の俺なのか、これを一つ考
 えてみようという気持ちになった。 心と体のどっちが本当の自分か
 分かっただけでも、少しは世の中のためになりはしないか、料簡を入
 れ替えて、少しでも世の中のためになることを考えようと思った。
○天風は、この本のことを思い出して本当に涙が出た。 山の中の17
 の子供が、こんなことを考えていたのか。 あゝ俺は、とんでもない
 バカ者だ。悔しい、情けないとその時思った。 今からすぐ幸せにな
 れると、カリアッパ師は言った。苦しさから離れて、たった今から、
 こういう真理を考えながら生きて行こうという気持ちが出たことを喜
 び感謝しよう。 こういう気持ちになったのも、もう一人の自分が出
 て来たからだ。 あゝそうだ、俺は今から、どんなことがあっても
 断然、この尊い気持ちで絶対に生きて行くぞ。
・それを遠くの方から見ていたカリアッパ師は、タタッと駆けて来て、
 「アーユー、ギャバティ」、(ギャバティというのは、悟ったという
 意味) 「悟りました、先生」。
○その後の天風は、毎日毎日、嬉しくて愉しくて、なんとも形容できな
 いが、ただ、有難い嬉しいと思うことを心がけただけで、一月たち、
 二月経つにつれて、薄紙ではなく厚紙をはがすように、グングン気持
 ちの中が洗い清められるようになった。 同時に、肉体がドンドン治
 って来た。自分が作り変えられて行ったと自覚するほど、天風は変わ
 ってしまった。
○天風は後に、カリアッパ師との出会いは、何か大きなある偉大な力が
 働いていたとしか思えないと述懐している。
(中村天風の著作より適宜抽出)




















 <プロフィール 成人期・中期5>
(5)成人期後期(41歳~60歳)
①38歳~43歳(1914年~1919年、大正3年~8年)、銀行頭取と四つ
の会社役員に就任。
○帰国後、銀行頭取と四つの会社役員に就任。
・東京実業貯蔵銀行、伊豆電燈株式会社等の経営に携わり、事業は順調
に展開した。
②42歳(1918年、大正7年)春。磐城炭鉱のストライキを調停。
○それまでに、陸軍の大迫将軍や、日蓮宗の田中智学らが調停に行っ
たが、鉄砲を撃ちかけられてどうすることもできなかった。
・恩師の頭山から、「磐城炭鉱が騒ぎよる。おぬし行って鎮めてくれ」
と依頼された。
・炭坑の入り口には橋がかかり、足を踏み入れたとたん、向こうの端か
ら坑夫が鉄砲を撃つ。威嚇射撃である。外套の腰のあたりをブスッと
弾が貫いたが意に介さずに突き進んだ。
・この時の気持ちは、女房や娘を売ってまでも炭鉱に立て籠もって、長
い間経営者と戦い続けている悲惨な労働者を救おうとやって来た自分
に、弾丸なんか当たってたまるか、当たるはずがないという「勇気が
煥発」された状況だった。だから、「虚心平気な気持ち」になれた。
・橋を渡り切ると、坑夫たちに、「そこに積んである貯炭を売っちま
え」と指示して、ストライキを収める。
・この解決策に不満を持った経営者側は、背任罪で天風を訴えた。「こ
ちらに任せると言った以上は、天風が何をしようと勝手じゃ」という
頭山の一言で、訴えは取り下げられた。
▽炭鉱の経営者は、浅野総一郎。資本金として、浅野が約26%、渋沢
栄一が15%を出資し、この二人で全体の40%を超える。天風は、
[炭坑主は浅野総一郎、金は根津嘉一郎が出した」と語っているが、根
 津 嘉一郎は出資していない。勘違いであろう。   (成功の実現)         
③42歳(1918年、大正7年)、虎の檻に入る。
・イタリアからコーンという猛獣使いが来日し、有楽町で猛獣のショー
 を開催した。
 コーンはかねて頭山満のうわさを聞いており、イタリア大使館を通し
 て面談を求めてきた。 天風ら三人の者が頭山にしたがった。
・コーンは、頭山に会うと、「猛獣の檻に入っても、あなたにはけっし
 て猛獣は襲いかかりません」と挨拶がてら言った。猛獣使いは人の
 目を見て、その人の心が定まっているかどうかを判断するという。
・さらに、天風を見て、「この方も大丈夫だ」とつけ加えた。コーンに
 案内された楽屋で、檻のなかから虎が三頭、低い唸り声を上げた。
 まだ馴らしている途上だと言う。
・頭山先生がニッコリ笑ってね、「勢いのあるやっちゃなあ。天風、い
 っちょう入ってみるか」と、こう言ったんであります。(中略)そ
 れでスーッと私、なかへ入っちゃったんだ。二重になってるんです、
 虎の檻っていうのはね。
・天風が虎の檻に近寄ると、コーンは二重扉を順に開けた。虎は、天風
 の周りに寄ると、二頭がうずくまり、一頭が後ろにいた。新聞記者
 がフラッシュをたいて写真を撮ると、虎が牙を剥く。
・このときの写真が新聞に掲載された。天風は、猛獣がなつくのは「霊
 的作用の感化」で、「すべての雰囲気をスーッと同じ状態にしちま
 う」からだと語っている。       (盛大な人生)
◇間もなく大きな転機が訪れる。
・妻ヨシから、知り合いの人が神経衰弱になって苦しんでいるから、イ
 ンドでの経験を話して欲しいと依頼され、自宅で講和の集まりのよ
 うなものを催すようになる。
④43歳(1919年、大正8年)5月31日、講演の最中にインスピレーシ
  ョンが閃く。
・日蓮宗の田中智学と大迫大将兄弟が「大日本救世団」という宗教団体
 を作り木挽町の歌舞伎座で発団式を行ったが、その時に頼まれて講
 演をする。
・その講演の最中に、「こりゃいけねぇ、この人間たちを救わなけれ
 ば」という天の啓示とも言うべきインスピレーションが閃く。
・それで、恩師である頭山満に相談し、わずか一週間の間に実業界の職
 を辞し財産を処分する。
⑤43歳(1919年、大正8年)6月8日「統一哲医学会」を創設。
・腰におにぎりを下げ、街頭にて心身統一法を説き始める。
・午前中は、上野公園精養軒の前の石の上に立ち、午後は、芝の増上寺
 の前で説法を行った。
・天風の説法に感銘を受けたのが、天皇の諮問奉答者・向井巌だった。
 向井は、日本工業倶楽部での講演に招聘した。向井の紹介で、原敬を
 始め政財界の人達が話を聞いた。
⑥47歳(1923年、大正12年)、司法大臣・横田千之助の紹介で韓国・
 京城に支部を開設。
⑦48歳(1924年、大正13年)、司法大臣・横田千之助の助力により大
 阪に支部を開設。
⑧48歳(1924年、大正13年)、東久邇宮、北白川宮、武田宮の3内親
 王へご進講をする。
 天風は、その引き出物をもって頭山満宅へ報告に伺った。
⑨49歳(1925年、大正14年)5月18日、尾崎幸雄別邸で講演会。
・尾崎幸雄別邸で行われた講演会には、小松輝久侯爵、後藤新平、岡田
 啓介(首相)、浅野総一郎、歌人の九條武子などが集まった。
・尾崎幸雄(文相、東京市長)は、1920年以来、統一哲医学会の会員
 として天風の活動を支えた。
・その後、統一哲医学会は発展し、政財界の実力者も数多く入会するよ
 うになる。
⑩56歳(1932年、昭和7年)、天風の活躍を描いた新国劇「満洲秘
 聞」が京都南座で上演。
・新国劇で軍事探偵の天風の活躍を描いた「満洲秘聞」が京都南座で上
 演さる。 戦後もテレビや演劇で活躍した島田省吾が天風役。 原作
 は、天風の弟・祐雄(筆名・浦路耕之介)が書いた「ある特務員の話
  世界密偵秘話」(博文館、1931年、昭和6年)である。
(中村天風の著作より適宜抽出) 












 


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