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・中村天風先生は、1876年(明治9年)7月30日東京生れ 1968年(昭和43年)12月1日、92歳にて逝去。 ・墓所は、東京都文京区大塚の護国寺。 ・本名は、中村三郎。立花藩主(福岡県)の末裔。 ・幼名は、午の年、午の日、午の刻生まれにちなんで 「三午(さんご)」と名付けられた。「天風」という号は 家伝の剣術随変流の型「天つ風」から名付けられた。
<プロフィール 成人期・中期2> ○ドイツでは、世界一の哲学者「ハンス・ドリュース博士」に会った。 ・博士は、この人に人生を尋ねれば、どんな事でも即座に応えてくれる と評判の高い人だった。 ・博士は、ドイツ人だから、たどたどしい英語で「それはお前のやって いることは、森の中に行って海の魚を捕まえるのと同じだ。出来ない 相談だ。考えてごらん、人間が自分の心を、自分の思う通りに自由に できれば、この世の中に哲学も宗教も生まれないではないか。それを 考えてみれば、そんな無駄な努力はしなさんな。それよりも、自分の ことは、自分だけでなんとか考えるのが、一番いいじゃないか」と言 った。この答えは、早い話が、ダメだから死んでしまえという言葉と 同じだと思った。 ・天風は、ドリュース博士の説く「新生気論」に影響を受けたが、「生 命力を強くするにはどうすればいいのか」は未解決のままだった。 ○20年後に天風は、帝国ホテルで心身統一法の講義をしている時に、 後藤新平伯爵の紹介でドリュース博士に会っている。更に、博士が2 回目の来日をした時にも、帝国ホテルのロビーで話をしたそうだ。 ・天風は後年、学校にも行っていないのに「ベルリン大学」から「名誉 哲学博士」の学位をもらったが、それはこのドリュース博士がくれた ものだと述懐している。 《ドリュース博士は、経歴によれば「ベルリン大学」には在籍したこ とがないので、「ライプツィヒ大学」の間違いではないかと思われ る》 ○結局、世界中探しても「心を強くする方法」は、誰も知っている人は いないという事実を改めて認識させられただけであった。この時に天 風は、本当の失望、本当の落胆というものを味わった。 ・失望した天風は、「俺は日本人だから、生まれた日本の土地で死のう 世界に稀な富士山のある国、桜の咲く国で死のう」と決意した。その 時の気持ちは、形容の出来ない孤独感というか、寂寞感というか、ま るで夜中にヒマラヤの山の頂に立たされたよりも、まだ寂しい気持ち だったと述懐している。 ⑫1911年(明治44年、35歳)5月21日、2か年欧米を遍歴したが、心 に何の希望もない魂の抜け殻となって、フランスのマルセイユ港から 貨物船に乗り帰国の途に着いた。 ・その貨物船は、サラ・ベルナールの従弟が船長をしている船だった。 この船は、ペナンまでしか行かないので、ペナンで乗り換えて上海へ 行く予定だった。 ・ところが、スエズ運河でイタリアの軍艦が座礁していたために、エジ プトのアレクサンドリアで一週間ほど足止めされることになった。そ の間、貨物船の釜焚きの男に誘われてピラミッドを見に行くことにな り、カイロのホテルに宿泊する。 ○そのカイロのホテルで、「ヨーガの聖者カリアッパ師」と運命的な出 会いをすることになる。 ・カリアッパ師は、イギリスの王室に招かれてヨーガの伝道に行った帰 りだった。 ・それは、その朝大きな喀血をしたばかりの午後であった。恐らく顔面 蒼白、生きている人間か死んでいる人間か分からない位のやつれ方だ ったに違いない。「カリアッパ師」は、とにもかくにも俺について来 い、お前の助かる道を教えてやる、と言葉をかけてくれた。その言葉 を聞いて、形容の出来ない感動を受けた。そして言下に「サーテンリ ー」と言った。 ○「カリアッパ師」に言われるままに、素直に後について行き、ヨーガ 哲学の発祥地、ヒマラヤの第三番目のピーク(峯)・カンチェンジュ ンガの麓ゴルケ村で、約3年間ヨーガの修行をすることになる。 ・その行程は、エジプトからアラビア海岸の著名な港に寄っては2、3 日泊って行く。カラチから陸に上がって、曳舟とラクダの背中で行く 目的地までは、約94、5日かかった。 ・天風の心の中には、希望が炎と燃えていた。その間、我々の目的地は どこですかと尋ねたことはなかった。まったく生きる望みを持ってい なかったのに、助けてやる、助かることを教えてやると言われたから この人の力を頼りにするのは人間として当然だと思った。 ・ところが、カリアッパ師の土地に入ってしまうと、主従以上の隔たり が出来てしまった。師は、その村落で最高の地位を持っているブラフ マン族であり、天風は最下級のスードラという奴隷である。奴隷は、 馬、羊、豚や犬などの家畜のさらに下である。 ・カリアッパ師は、王様でもこの人のそばに行くには膝を折らねばなら ないような人だ。インド人は、この人を垣間見るだけでも光栄だと思 っている人が多い。有難いことには、そんな人が、2年数カ月ずっと 傍についてくれていた。 ○現地に着いてみると、1カ月経っても2カ月経っても教えようとはし てくれないので、その理由を尋ねた。すると、お前はまだ、本当に教 わる準備が出来ていない。お前の心の中は、私の方が余計知っている 私の霊感でそれが分かる。その証拠を見せるから、あの水を飲む器に 水をいっぱい注いでこいと言われた。 ・ちょうど魔法瓶みたいに、素焼きの二重になった丼が置いてある。そ れに水を一杯入れて持って来た。すると次に、湯をいっぱい持って来 いと言われた。言われるままに湯を持ってきたら、その湯を水の上か ら注げと言われた。 (中村天風著作より適宜抽出)
<プロフィール 成人期・中期3> ・それで、天風が湯を水の上から注げば、両方ともこぼれますというと カリアッパ師から、それが分かったら、さっき俺がお前に言った言葉 は分かるはずだと言われた。 ・そして、お前の頭の中は、役にも立たない屁理屈がいっぱい詰まって いる。だから、俺がいくら尊いことを言っても、お前はそれを無条件 には受け取れないのだ。 ・天風は、心の中からあゝそうかと思った。すると、分かったようだな 今夜から俺のところに来い。生まれたての赤ん坊のようになってこい と言われた。 〇天風は、それから二年余り、一番大切な根本的なことを教わった。 ・3里18町ある山奥の華厳の滝の3倍位ある大きな滝の滝壺のわきで坐 禅を組んだ。 「我いずこより来たり、いずこに行かんとす。 何の事情ありて、こ の現象界に人間として生まれ来しや」などの問題を考えた。 ・カリアッパ師からは、一所懸命取っ組んで考えろ、そうすると、お前 の中のもう一人のお前が、きっと本当のことを教えてくれると言われ た。 ・半年かかって、「この世に万物の霊長として生まれ来し所以のものは エレベーション(高める)という、造物主の目的に順応するためだ」 ということを考えついた。 ・この時私は、今思い出しても涙が出るくらい、声を出して泣いた。 <「積極的」とは、どういうことか> ・カリアッパ師に、お前の病の原因は戦争で人を殺した処にある。だか ら、「お前がその病に罹っていることに、強い反省の心を持たねば駄 目だ。その反省が、やがてお前をより幸福の者にしてくれる原動力と なる」と言われた。 ・そして、心を積極的に堅持したければ、「生まれたての心」に返るこ とだと言われた。 「生まれたての心」とは、ドイツ語で「タブララ サ」だ。「タブララサ」とは、透明、何の色にも染まっていない「ピ ュア」なものだ。 ○「生まれたての心」に自分の心を返せ、それが「積極的」だ。「ピュ ア」とは、「尊さ、強さ、正しさ、清らかさ」を失わないことをいう これを失うと、「神経系統」が弱くなってしまう。 ・なんでもない時は虚心平気、自分でも惚れ惚れするような尊さ、強さ 正しさ、清らかさを持っているかもしれないが、いざ鎌倉の時、何か 事ある時、大抵の人はこの反対になってしまう。 ・いかなる時にも、心の「尊さ、強さ、正しさ、清らかさ」を失っては いけない。 万一、それを失うと、たちまち神経系統が弱ってしまう 神経系統が命を生かしている中枢力(pivot)だから、それがボルテ ージを落とすと命もたちまちものの役に立たないことになる。積極心 とは、また、純粋で雑念妄念のない心ということができる。 〇ある日、カリアッパ師から「どうだい、少しは幸せになったかい」と 聞かれた。 「ちっとも幸福になりません。せめて病が治ったら、幸福だと感ずる かもしれませんが」と答えると、「そういう気持ちでは、病が治って も本当の幸福にはなれない」「しかし、朝から晩まで私の頭の中にあ るのは、苦しいのと、辛いのだけです」「それじゃ、どこにいても、 今のような気持ちじゃ幸福にはなれない。本当に幸せになりたかった ら、今からすぐに幸せにおなり」「ダメですよ。あなたのような偉い 人なら、すぐ幸せになれるかもしれないけれども、私はとてもなれま せん」「なれるよ、教えてやればわけないけれども、考えなさい。今 からすぐに」「一所懸命取っ組んで考えろ、そうすれば、お前の中の もう一人のお前が、きっと本当のことを教えてくれる」 ・カリアッパ師はそう言って、私の背中を軽く三つ四つ叩いて、向こう へ行って坐っている。 (中村天風の著作より適宜抽出)
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